春近し でもまだ寒い

藤野はきのう 雪
でした
真冬に逆戻り![]()
寒いです
ま 積もらないで よかった
いつもの年より 雪は少ないね
でも 山里にも春は近づいていて
はてなのまわりの梅の木は
満開近いです
写真はしだれてる梅![]()
しだれ梅っていうのかな
めずらしい
小さな梅の実をつけます
昨年拾って 梅酒に漬けたら まずかった
失敗 失敗…

藤野はきのう 雪
でした
真冬に逆戻り![]()
寒いです
ま 積もらないで よかった
いつもの年より 雪は少ないね
でも 山里にも春は近づいていて
はてなのまわりの梅の木は
満開近いです
写真はしだれてる梅![]()
しだれ梅っていうのかな
めずらしい
小さな梅の実をつけます
昨年拾って 梅酒に漬けたら まずかった
失敗 失敗…
先日 こんなことがあった
私の住んでる藤野は
中央線 高尾駅から
甲府方面に 2つ目
都心からそれほど遠くはないが
やっぱりちょっとは遠い
電車の本数は 高尾までは多いけど
そっから先はガクッと減る
なので
東京方面に行って
帰ってくる場合
高尾から藤野の
電車の時間が気になるのです
(京王線もよく利用するけど いずれにしても高尾で乗り換え)
ある日 友人と
明大前(京王線)で呑もうとゆうことになった
都合により 夜9時過ぎとのことなので
私は 府中の居酒屋で 軽く呑んで明大前へ
だけどさらにだいぶ遅くなり
10時前ぐらいから呑んだ
私は 11時26分 明大前発に乗らないと藤野に帰れない
ま 時間は短かかったけど久しぶりに友人に会えてよかった![]()
さ 帰ろう
京王線も
無事 間に合って 急行に乗る
北野で乗り換え
各停で高尾へ
次 めじろ台の声を聞き
うとうと
ガタッとドアの閉まる音で
目が覚めた![]()
え?
外を見ると 高尾![]()
あぁっ![]()
ドアは開かない
高尾で乗り換えなのに
降りそこねた![]()
そのまま 終着の高尾山口駅へ連れていかれる
乗ってる人はほとんどいない
放送は
もうすべての電車は終わり
とか 言ってる
高尾山口に着いた
酔っぱらいが下ろされてる
あ〜 どーしよー![]()
駅前は閑散としてる
高尾まで歩いて 戻れば
タクシーがあるかな
でもタクシーは やだな
今まで数回乗ったけど
藤野まで料金も高いし…
高尾なら
インターネットカフェもあるな
今まで 2回ぐらい泊まったことがあるけど
今日は なんかうざい
藤野から 家族を呼ぶのも
かわいそうだしなぁ
うーん
迷いながら
ちょっと高尾まで歩きかけた
ふと![]()
まてよ
どうせ歩くなら
藤野まで歩こうかな?
と思ってしまった![]()
なんキロあるだろう
車だと25分から30分ぐらいだから
平均時速40キロぐらいとして
20キロ弱 18キロぐらいかなぁ
5キロ(約1時間)ぐらいは いつもウォーキングで歩いてるから
倍の10キロぐらいは歩ける気がする
とりあえず 10キロ歩いて考えようかな
たぶん相模湖町の千木良の入り口ぐらいまではいけるはず
よし 歩こう![]()
時間は 午前0時30分
真夜中の甲州街道を 歩き始めた![]()
大垂水峠を越え
下り坂になる
気温はさほど低くない
汗が吹き出すぐらい
着てたダウンジャケットは 暑くて脱ぐ
まぁ順当に2時間ちょっと歩いたら
相模湖町の小原宿の
セブンイレブンまできた
さすがに疲れた![]()
あったかい缶コーヒー買って 一服
ちょっと休んだら
急にやんなってきた
眠くもなってきた![]()
どーしよー
近くに バス停があり
相模湖駅行きの始発が
5時45分…
まだ3時間ある
ふぅ
横の標識に 相模湖駅まで1.6kmとある
1.6キロぐらい歩けるな
よし
相模湖駅まで行って 考えようと
相模湖駅へ
バスロータリーに
ベンチがあり 休憩できる
しばし横になった
寒いなぁ 気温が下がってきたんだ
駅の改札に行ったら
藤野方面の始発
5時25分だ
あと2時間か…
2時間 この寒い中
ここにいるのはつらい
よしっ![]()
最後の気力をふりしぼって
再び藤野へ向かう![]()
勝瀬橋通過が4時ごろ
朝4時40分ごろにいえに着きましたとさ
全行程 約4時間ちょっと![]()
疲れた![]()
左足のふくらはぎが痛い
湿布した
長い物語はこれでおしまい![]()
ある商店街に
コッペパンだけ売るパン屋さんがあるそうな
不定期に開店してて
たまに休む
そんなとき
「まことに勝手ながら 二日酔いのため 休みます」
の札が
出される(笑)
さらに![]()
その札の裏には
「まことに勝手ながら おもしろくないので 遊んでます」
と 書かれてる![]()
い〜な〜
こっちが出される日もあるんだ
おもしろくないから
店休む
い〜な〜
そんで遊んでる
最高だ![]()
人間の生きる目的は
遊ぶこと![]()
うわぁ
世の中まだ捨てたもんじゃない
ワタクシ あまりの感動に
先日
その店まで行ってしもうた
だけど 店はもう しまってた![]()
遊んでるのかも![]()
「人間 どう生きたらいいか
ということは あまり重要ではない
死なないためには どうしたらいいのか
が 大切だ」
うーん なるほど![]()
どんな形でもいいから
とにかく生きてることそのものが大切で
いかに生きるかは どうでもいいのだ
死なないために どうしたらいいか
の方がはるかに大事…
とても共感する
うーん
そうとう 気が楽になる![]()
いい言葉だ
もひとつ
「今日死んでもいいように 生きる」
これも共感しました
私もこんな感じで 生きてきた
だから 今日死んでも さほど悔いはない
そして これからの夢は
さしてない
うーん
むかしから 将来ヘの計画は あまりないんだよね
今やりたいことだけ
やってきた
もいっこ おまけ
「やんちゃな者ほど
人の心がわかる」
うーん
なるほど
やんちゃな人は 好奇心旺盛だしね
やんちゃな子どもを
ゆうことよく聞く優等生に育てるんじゃなく
やんちゃのまま
おとなになってほしいね![]()
●普通と自然は違う
わざとらしくなく 自然に演ずることは難しい
特に子どもの前に立つ舞台の場合 一切の約束事が通用しない
様式的なこととか
形式だとかも
まったく意味をなさない
いかに 自然に うそでないように 感じさせられるかが 肝心だ
しかし 自分は自然にやってるようでも
数々のおとし穴がある
そんなとき 私の師は 普通と自然は違うよ
といった
あなたにとって普通のことでも 客席から観て ちっとも自然じゃない
つまり 自分の感覚=主観と 客観は まったく別物であるということだ
人間にはどんな人でも必ずクセがある
歩き方 そぶり 水の飲み方まで みんな違う
だから 自分は普通と思っていても 外からみると なんか変 ということが よく起こる
自分の「普通」を客観的に知ることが 重要であり
自然に演ずることの 第一歩となる
自分を客観的にみるには
「常に50m上空から自分を見よ」とも 師はいった![]()
俯瞰で自分をみるということだ
これは すごいヒントになる![]()
興奮したり うろたえたりしている 今現在の自分と
50m上空から見るもうひとりの自分
ふたりの自分
複数の視点を同時に持つ![]()
これがコツだ![]()
あと 自分のビデオを見るのを嫌う人は 意外と多いが
自分の「普通」を知るために 積極的に見た方がいいと思う
あといろんな人間観察をする かな?(これは私の考え)
●わかる より 感じる
日本の親やおとなたちは
子どもに対して よく
わかった?
という
しかし「わかる」っていうことは とてもあやふやなことだ
答えは たいがい
わかった…
が 多いけど
たぶん わからないのに
雰囲気で わかったといってしまうか
わかったつもりになってるだけなことが 多いのではないか
かつて 谷川俊太郎氏の講演会の質問コーナーで
「ほとんどの問いに答えはないんだよねぇ…」
といってたのを思い出す
私の師は
理解は誤解
とも よくいっていた
そう 誤解という わかりかたも多い
だから わかる ことは
とてもあやふやなことなのだ
実は
わかる ことより
感じる ことのほうが正確である
感じるとは
五感や
勘や
なんやかやを総動員し
雰囲気や
えもいわれぬ空気感をつかむ
言葉で 言い表せないことも多いので 一見あやふやに思えるけど
実は はるかに正確だ
自分の感応 感覚 感性を研ぎ澄ませていくことが 肝要です
●お芝居は 観客が表現しにやってくる
これは 衝撃的な 言い回しだ![]()
え どういうこと?と思ってしまう
誰しも演者が表現すると思っている
しかし 芝居の本質は
観客が表現することである
ということなのだ![]()
たしかに 我が小さな観客たちは
ヤジをとばし
笑い わめき とびあがり
ときには 泣き 眠り
立ち上がり 歓声をおくり
誰もなんにもいわないのに
もう実に様々な表現をしてくれる![]()
たいがいのおとなたちは
劇の前に 余計なおせっかい=劇を見るマナーとか お約束をいったりするが
マナーを守らないのは
圧倒的に おとなの方だ
子どもたちが騒ぐ理由は
マナーを守らないからじゃない
それはただ一点
芝居がつまらないからだ![]()
そうなのです
表現するのは 演る側だけではないのです
観る側も表現する
いや むしろ観てる人が表現することの方が 本質である
そして 演者も観客も 混然一体となって
誰が やる側 みる側なんてゆう チンケな分担なんか
どうでもよくなってしまうのが
パフォーマンスの最大の目的であり
これこそが ライヴ そのものだ![]()
そして そこにはチケット代は いくらとか
お金をとるとか とらないか
ということさえ
チンケなものに感じるだろう
そして
芝居やパフォーマンスは
商品ではない![]()
お金で売り買いするものではないことを
思いしらされるのだ![]()
前回 続くといっておきながら
なかなか 続きが書けない
いいたいことは いろいろあるのだが
うまくまとまらない
そこでいくつかのヒントをまじえ
まとまらないまま 無理やり進めてしまいます![]()
前回 練習をすればするほど
つまらなくなる「なにか」があると 書いた
それは 例えば
予定調和→予測どおりの物事が起こること
であり
演じる者が やってることに慣れてしまい
新鮮に感じることができなくなったり
段取りだけで パフォーマンスを進めていくと
すごいことをやってても
次にどうなるか
観客に なんとなく予測されてしまう
観る側は 初めて観るのに
新鮮さを感じにくくなって
しまうというわけだ
これらを解決する 役者の演技術で 代表的なものは
スタニスラフスキーシステムがある
演劇の養成所や 研究生のとき 学ぶことも多いが
簡単にいうと「リアルに 自然に 新鮮に演ずる」には どうしたらよいかという体系といって いいだろう
しかし そうとうな訓練がいるし
子どもたちを前に演ずる場合
それだけでは 対処できないことがある
では どうしたらよいのだろう
………………………
実は 私には 「師匠」ともいうべき ある演出家がいて
若いころ ずいぶん鍛えられた
今でも迷うと 師を思い出し 何ていうだろうか
師ならどうするだろうか
と考えます
彼は 稽古の最中でも
ここはこうせよ というより
なにか示唆にとんだ 重要なことをいい
ハタと気づかされたり
考えさせられることが よくあった
その言葉のいくつかをヒントにしていこう
●感心と感動は違う
これは口癖のように言っていた
私なりの受け取り方ですが
感心とは
技術的なことに重点を置き
観客をすごいと うならせたり
納得させること
十分訓練されていなければ ひとを感心させることはできないし もちろん軽視はできない
一方感動は しばしば キャリアと関係なくおこる
つまり子どもたちや アマチュアの人の芝居が 技術的には劣っていても
それを観て感動することは 十分ありうる
むしろキャリアのあるプロのベテランが 己の芸を見せつけようとして 辟易することだってある
すごいことやってても
感心はするが
感動はしない
ということだ
感動とは この人はすごいと思うことではなく
あぁ この人に逢えてよかった
この空間を共有できてよかったと 心が「昇華」されること
(昇華は師匠がいいました
)
では ないだろうか?
あと
●普通と自然は違う
●わかる より 感じる
●お芝居は 観客が表現しにやってくる
全部師匠の言葉です
さて 調子が出てきたところで またまた 続くのだ![]()
今度は たぶん大丈夫
すぐ 続きはかけると思います![]()
ではでは![]()
舞台にあがるために 練習はとても大切だ
セリフは 何回も反復練習し 覚えなきゃならない
相手役との 呼吸 間合い…
段取りや打ち合わせも必要だし
アンサンブルのための 様々な訓練や 練習がある
終われば ダメ出しといって
演出家から また役者どうしで
反省 修正をする
音楽の世界もそうだろう
歌も楽器も繰り返し練習し 体に叩き込む
私が舞台でよくやる けん玉も
練習しないと腕が落ちる
そういう曲芸関係やマジックなんかは 尚更だ
本番前のリハーサルも念入りに行う
私の知り合いのマジシャンは
飲み屋にいくときも
コインをポケットに忍ばせ
暇さえあれば 指の訓練をしている
しかし![]()
練習をすればすればするほど つまらなくなる「なにか」もあると 感じている
それは何だろう
とゆうのが 今回のテーマだ
芝居は 初演が一番おもしろいともいう
私も芝居を観にいくときは 可能な限り 初日 初演を観るようにしている
2日目芝居 2回目芝居
なんて言葉もある
2回目はミスが多いという意味だ
2回目から もうすでに マンネリ化が始まるのだ
極論すれば
新鮮な気持ちでできるのは
一番最初の たった1回なのかもしれない
まぁひとくちに
その「なにか」は「慣れ」といってもいいんだけど…
事態はそう簡単じゃない
なぜなら練習の中の重要な要素は 慣れだからだ
さんざん訓練して
ミスがなくなるまで
頭や指や体を慣らす
慣れ そのものは大切で
軽視できない
しかし慣れれば慣れるほど
新鮮さがなくなる
すごく慣れてるのに
慣れてないような気持ちでやるにはどうしたらよいか![]()
我々 子ども向けのお芝居をやっている 児童劇団や人形劇団は
一年に何回も 何百ステージも 同じ芝居をする
年に何回も同じ芝居をするのは 苦痛に感じるときすらあるだろう
それをどうやって乗り越えていくのか![]()
昔 テレビで 3つのタイプの劇団の人が 話をする番組があって
ある新劇の女優さんは
うちは ひとつの芝居に最低2ヶ月は稽古します
といったら
次に 喜劇の劇団の人が
うちは 2週間ぐらいです
といい
さいごに ある新喜劇の人が
うちは 2時間でっせ
といって
みんなを驚かせた![]()
午前中に台本 渡されて
1回通したら 午後もう本番です
という話であった
これは このうちの どれがいいということはないだろう
それぞれが長い時間の中で 到達した システムなのだと思う
2時間の稽古で 本番にのぞむ役者さんも
そうとうな力量がなければ できないだろうが
逆に
その人に 2ヶ月稽古して 芝居やれ といっても
できないだろう
ひとくちに お芝居 舞台芸術といっても
これだけの違いがある
さて
話変わって
予定調和とゆう言葉がある
元は哲学の分野の言葉らしいが
俗に
予測どおりの物事が起こること
をいうらしい
この
予定調和は
芝居において
実にやっかいなのだが
疲れてきたので
次回![]()
今 新宿の
昼からやってる居酒屋で飲んでるのです
ではまた
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